萩原で暮らす人たちの声

どきどき萩原

大石 汐里(しおり)さん

1994年生まれ、下呂市出身。岐阜県警察で警察官として5年半勤務した後、未経験からウェブデザインをオンラインで学び、その後ウェブデザイナーへ転身。ウェブデザインを学び始めるタイミングを機にUターンし、現在はフルリモートでデザイン会社に勤務しながら、個人でのクリエイティブ活動や市民団体での広報ボランティアなどにも精を出している。

自分の心の叫びを無視しない。「人生のために仕事をする」下呂で叶える新しい働き方と地元への恩返し。

―転職をきっかけにUターンしたんですね。なぜ下呂に戻ろうと思ったのですか?

「元々、地元下呂市に帰ってきたかった思いはずっとあったので転職を機に戻りました。異業種からWebデザインに挑戦しようと思ったきっかけは、昔から美術とか絵を描くことがすごく好きだったので、素直に「好きなもの」に挑戦したいという思いが始まりでした。小さい頃の夢は「漫画家」でした(笑)公務員だった時は経済的な安定はもちろん手に入るんですけど、自分の人生とか、心残りとしているものに目を向けたとき、本当の自分と、警察官としての私に大きな乖離を感じていました。 ふと『このままの私で死ぬのってどう?』って考えた時に、人生1回きり、自分らしく生きていきたい、自分の好きなものを大事にしたいって思いがどうしても消えなくて、思い切って自分の気持ちを信じて進んでみることにしました。」

 

―思い切って帰ってきて、不安なことはなかったですか?

1番の葛藤は、せっかく掴んだ安定の場所をわざわざ自分から手放すっていうのは『もったいないんじゃないか』という周りからの声に心が落ち着かない時期はありましたね。警察官だった当時の私を払拭できるほど、わたし自身がWebデザイナーとして自分自身を磨いていかなきゃいけないっていう焦りや葛藤がありました。Uターン後は半年間オンラインでデザイン基礎からコーディング、UIUXデザイン、マーケティング理論などWebデザインをする上でのスキルを夢中で学び、卒業後はサポートスタッフとして後輩たちのコーディングを添削していました。デザイナーといっても、イラストを描くというよりITエンジニアに近いデザイナーです。」

オンラインプログラムを学び終えた後、いよいよ転職サイトを活用して面接活動をスタート。その期間なんと約1年ほどだったと打ち明けてくれた。

Webデザイナーとしてのキャリアがないので選考でたくさん落とされました。面接を受ける上で厳しい言葉もたくさん受けました。ほぼ1年くらいはずっと、ひたすら履歴書を出しては落とされまくって……面接にやっと進めた!と思っても最終まで行かなかったり….その繰り返しがずっと続いてました。それでも、「最後まで自分自身を信じてやり続けるんだ!」って強く思い続けて、とにかく日々できることをやっていました。」

 

面接に落ち続けたほぼ1年間。孤独な戦いの中で想像を絶する心の葛藤があったことと思う。ボロボロの彼女を誰よりもそばで励まし支えてくれたお母さんとのエピソードを語る時には、思わず胸を詰まらせる様子も….

「私の選択を1番近くで応援してくれたのが母だったんです。うまく選考に進めず、落ち込んでいる私を見た母は『私も信じてる』って言葉を掛け続けてくれました。 ある時、母が若い頃に付けていた大事なジュエリーを私に付けてくれました。『私もこれを付けて元気を出してやってきたんやよ。大丈夫やで、頑張れ。』って言われて。何気ないことだけど、すごく励まされました。気晴らしに一緒にドライブへ誘ってくれたり。私のことを誰よりも信じて応援してくれる母の存在があったから、「諦めちゃいけない」って思いました。」

 

―そこからついに今のデザイン会社に受かって、軌道に乗り始めたんですね!

 「はい。Webデザイナーとして働く機会を与えてもらえた!っていう喜びがあったので、ひたすら制作をしていました。個人が担当する案件の数が多い会社で、キャリアは浅い方ですが、制作量は圧倒的に多いと感じています。1日に複数の案件を対応して、多い時は6,7件くらいのWebサイト制作を同時進行でやっています。とにかく現場で数をこなして、新しい自分の仕事に慣れていきました。リモートワークですが、フルタイムで9時から夕方6時までの勤務。その時期は、仕事に慣れるのにも必死だったということもあり、ほぼ地域に溶け込むことなく孤独に生活していました。」

―とにかく会社からの案件をこなして経験を積む1年を経て、徐々に副業にもつながる下呂での新しい出会いのきっかけは?

 「下呂市の温泉寺で開催されたマルシェに参加した際に、馬瀬の『エレファントツリーハウス』のご夫婦にお会いして、よしえさんをきっかけに地域に溶け込むようになりました。そこから『ソラノイエ』のゆきこさんと出会って、ゆきこさんが取り組まれている下呂市ワーキングホリデーのホームページの修正を依頼していただいたのが、下呂市で初めて個人の仕事をいただいたきっかけです。 色んな人と出会う度、私の活動を知ってくださる人が増えて、色んな方からのお声がけがあっての今があります。ありがたいことに全部紹介です。依頼してくださる方の想いを形にした作品を届けたい!っていう想いはすごくあって。過去の作品を見返しては、今と当時の自分の視点の違いを振り返りながら、試行錯誤を重ねている感じです。昔から全部を全力でやっちゃうので、上手にバランスよくできたらいいんですけど、今も変わらず「全力の体当たりスタイル」です(笑)」

 

大前提としてのミッションは「飛騨地方に恩返しをすること」

葛藤の日々を乗り越えながら、まっすぐ未来を見据え自分らしく歩き続けるしおりさん。
これからの熱い構想についても聞いてみた。

 「私の根底にあるミッションは、『飛騨地方に恩返しをする』ことが大きな軸としてあります。それを実現するために計画しているのは、春から個人事業主として開業し、自分の持つスキルで活動を始めていくこと。最初は、がむしゃらにやっていくんですけど、もう少し先の未来の目標は、この地にIT関係のデザインの会社を立ち上げて、若い人の雇用を創出することです。心の中でずっと思っている夢です。35歳くらいまでに法人をつくれたらな〜って。言っちゃったからやらないとですね(笑)

小さい頃、家の裏の山に入って遊んだり、家族で小坂の綺麗な川に行ったり、地元にある自然な美しい景色を見せてもらったからこそ、絶対にこの場所を絶やしたくないし、ここに住む人たちも、これから先も穏やかに、いい暮らしにしてほしいなっていう想いがずっとあるので。

自分がもし会社を出すにあたって、仲間に一番伝えたい言葉が『仕事のために自分の人生を使うのではなく、自分の人生のために仕事をする』なんです。やっぱりここにいれば、心が穏やかになる環境がもう揃っているからこそ、まずは自分の人生を大事にする。そして、そんな豊かな環境を育ててくれた地元に恩返しをするために、プロフェッショナルでありつつ自分を大事にできる会社をここで作りたいんです。」

若くして熱い想いを持ち下呂へUターンし、ここで新しい暮らしと働き方を創造する彼女の言葉に心が震えた。

仕事とは別に、「HIDA OUTDOOR FREAKS」っていう団体でボランティア活動をしてるんですよね?

「はい!飛騨地方を拠点とした市民団体で、メンバーとして運営に関わらせていただいています。元々は、来場者としてイベントに遊びに行ったんですけど、気がついたら運営側に回っていました(笑)。 飛騨地方といえば日本が誇る豊かな森林。そんな自然との親和性のあるイベントを開いて、飛騨地方のみならず、全国から沢山の人に遊びに来ていただけるように広報活動をしています。」

―しおりさんの好きを活かせて、すごく楽しそうですね!

「すごく楽しいですよ! イベントに行く度、顔見知りが増えるのがとても嬉しいです。飛騨地方には、豊かな自然があるので、この場所を好きになってくれる人がたくさん増えればいいなって思ってます。」

他にも、萩原北中学校で開催された職業講話の授業では、プログラミング体験の講師としての協力など、子どもたちが新しい学びの機会に触れるための活動にも自身の学びと経験を活かして精力的に活動されている。

鳥の鳴き声とマイナスイオン。「生きている」と実感できる地元での暮らし

―下呂に帰ってきて良かった!って思うのはどんな時?

「朝、外に洗濯を干すときです。我が家の裏は山なので、マイナスイオンを浴びながら、鳥の鳴き声と朝日が当たる瞬間に『生きている』と実感できます。 私の住む地域も好きで、小学校も駅もバス停もあるし、近所にはカラオケがあるお店もあります。小学生の時に授業で聞いた話だと、地元住民が『駅が欲しい』との思いから、自分たちで駅を構築したらしいです!これって、想いと根性がないとできないことなので、その昔話が今でも忘れられません。」

―最後に、下呂に移住を考えてる人にメッセージをお願いします!

「自分らしく楽しい人生を送る場所として、この下呂市を選んでくれると嬉しいです。」

 

しおりさんInstagram @sh10ri__swebook

HIDA OUTDOOR FREAKS  Instagram @hida_outdoor_freaks

ライター プロフィール
おゆるり

おゆるり

生まれは岐阜県土岐市、3歳から父の実家である下呂で育ち、高校卒業を機に東京へ一度移り住み、今はまた下呂へ戻ってだいすきな山と川と温泉のそばでのびのび暮らしている自由人。自然とともにある下呂という豊かな土地で幸せを創る人々の等身大な暮らしをお届けしていきます♡